映画「FAKE」観ました ネタバレほぼなし感想

 観た後で、なかなか自分の中で感想がまとまらず、もう先週末の話になってしまうのですが、現在公開中の映画「FAKE」を観ました。

 ネタバレはないつもりですが、内容には触れますので、先入観なしで映画を見たい人はご注意を。

 


佐村河内騒動のドキュメンタリー/映画『FAKE』特報

 

 あの伝説の2014年、「キセキの世代」の一人、偽ベートーベンこと、佐村河内守のドキュメンタリーと聞いては、観ないわけにはいかないではありませんか。

 

 実際、気になっている人は多いようで、ミニシアター系の映画としては異例のヒットとなっているようです。

 

www.cinematoday.jp

 

 このドキュメンタリーは、佐村河内守の側から「本当は聞こえているのに、聞こえていないふりをしている」という世間の決め付けに真っ向から反論している作品ですので、これを見た限りでは、佐村河内守聴覚障害者以外のなにものでもありませんし、テレビや週刊誌などの報道が事実を歪曲しているようにしか思えないのですが、もちろんこれも、佐村河内守側の一方的な主張に過ぎませんので、実際のところがどうなのかという判断には慎重になるべきでしょう。

 

 まあ、そうは言っても、彼が「本当は(健常者同様に)耳が聞こえている」と言われている根拠というのはゴーストライターの新垣隆の証言と、ノンフィクション作家、神山典士の文春の記事しかないわけで、この二人が実はグルで、「新垣隆は善良な性格につけこまれた被害者」というストーリーに作り変えて、騒動の責任を佐村河内守一人に押し付けていると考えると、いろんなことのつじつまがあって、スッキリはするんですけれどね。

 

 作中で、監督の森達也は、新垣隆と神山典士にもそれぞれ別々に取材を申し込んでいるのですが、二人ともなぜか取材は拒否しています。

 

 もしこれで二人が取材を受けて、彼らも作中で堂々と自身の見解を主張していたら、この作品が、黒澤明の「羅生門」(あるいはその原作の芥川龍之介の「藪の中」)のようになり、もっとスリリングな作品になったかもしれないのに、と思うと少し残念ですが、彼らが取材から逃げたことによって、ますますあの世間を揺るがせたゴーストライター騒動が、マスコミの報道やそれによって我々の受けた「一番悪いのは佐村河内守、世間を欺いたゴーストライターとはいえ、立場的には被害者と言えなくもない新垣隆、それらの真実を明らかにした優秀なノンフィクション作家神山典士」という印象と、事実が大きく乖離していたのではないか、という疑いが膨らんでしまいました(まあ事実がどうであれ、一番肝になる「佐村河内守の作品はゴーストライター新垣隆によるものだった」という部分に関しては、なにも変ってはいないのですが)。

 

 ……というようなことをメインに、マスコミの報道の恣意性や、いちど悪者扱いすると、人権侵害レベルまで一方的に叩いても誰も疑問に感じない世間の人々の怖さなどを考える映画ではあるのですが、佐村河内守の奥さんの圧倒的な存在感のおかげで、単にそれだけにとどまらない人間ドラマ的な見方もできる、懐の深い映画になっております。

 

 ちなみに予告編の「誰にも言わないでください、衝撃のラスト12分間」の部分に関しては、私も特に言いませんが、そこまですごいのを期待はしないほうがいいですよ。

 一応「おー!」ぐらいの驚きはありますが、それ以上のものではありません。

 

 それよりも、私はこの映画で一つ、すごく好きなシーンがあったのですよ。

 もうそのほんの数分のシーンが、面白くて面白くて。

 その絶妙な「間」も含めて、そのシーンだけでも、もう一度見たいと思うぐらい。

 なんというか、あれがあっただけで、この映画観てよかった、と思えるぐらい。

 ちなみにそのシーンとは、佐村河内守が、おもしろパフォーマンスをするシーンのことではありません(そこはそこでおもしろかったけれど、少しくどい)。

 ヒントは「豆乳」です。

 これだけで、見た人にはわかるはず。

 「世の中に不思議なことなどなにもないのだよ」というセリフを久しぶりに思い出してしまいましたよ。

 この、作品の本筋になんの関係もないこの豆乳の1シーンを、カットせずに残した森達也監督に、最大限の敬意を払いたいです。

 万人受けするシーンかどうかは、ちょっと自信ありませんが(笑)

 

 そんなこんなで、超傑作ドキュメンタリーを期待しすぎると肩すかしをくうかもしれませんが、単なる一騒動の顛末に終わらない、世の中の普遍的なことをいろいろ考えさせてくれる映画ですので、佐村河内守が大好きなみんななら、きっと満足できる一品だと思います。

 

 つまりはそういうことだ。