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黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」 高野秀行「放っておいても明日は来る― 就職しないで生きる9つの方法」 森達也「職業欄はエスパー」

 なにげに5連勝中のセレッソ大阪なのですが、ここ数試合は相手が下位チームばかりでしたので、本当に強くなったのかどうかイマイチ確信が持てない今日このごろです。

 こんにちは。

 しかし今日は、首位コンサドーレ札幌との頂上決戦。

 天王山です。

 勝てば(札幌のほうが1試合少ないとはいえ)、首位です。

 今日勝ったら、さすがに褒めてあげようw

 久しぶりに、本当に久しぶりにセレッソ大阪の試合を真面目に見ようと思います。

 

最近読んだ本

 いずれも図書館で借りて読みました。

 本当はkindleでもいろいろ読んでいるのですが、どうしても感想を書くのは後回しになって、返さないといけない図書館の本の感想が多くなってしまうことに最近気づきました。

 

 

 

 黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」

 

 言わずと知れた黒柳徹子の大ベストセラー。

 昔、実家にあったので、読んでいたのかもしれないのですが、内容を全く覚えていなかったので、読んでいなかったのかもしれないと思い、借りてみました。

 実際に読んでも、読んだか読んでいなかったのか思い出せなかったのですが、たぶん読んだことがあるような気がします。

 

 トットちゃん(黒柳徹子)は、今で言うところの発達障害児童のようなものでしたので、他の子達といっしょに勉強するのは難しいという理由で小学校を退学になり、「トモエ学園」という、独自の教育方針で運営されている、言ってみれば特殊学校のようなところへ転校します。

 そしてその学校は、独特の教育方針を持ったすばらしい校長先生のいるところで、トットちゃんは個性的な仲間たちとともに、楽しくも豊かな学校生活を過ごすことになりました、という黒柳徹子の子供時代の回想録です。

 

 今でしたら、文部科学省の指導要綱なんかから逸脱しすぎていて、仮にそんな先生がいたとしても、実際にこのようにするのは難しいと思いますし、おそらく当時も決して容易ではなかったと思うのですが、それも含めてこの校長先生が優秀な方だったのでしょう。

  トットちゃんの優しいまなざしもあって、温かいエピソードがずっと続き、ちょっとしたファンタジー小説のような趣なのですが、物語の中盤から後半あたりになってくると、戦争が始まり、それにともなってトモエ学園の周囲の雰囲気も少しずつ変わり、学校生活に暗い影を落とし始めるあたり、「少年H」を読んでいた時の読書感に近いものを感じました。

 

少年H上下巻セット

少年H上下巻セット

 

 

 おそらく、こういう学校に通っていればもっと人生が救われていたような人も、世の中にはたくさんいるだろうということは容易に想像がつくし、学校教育とはこうあるべき、とは思いつつも、現実問題としてこういう環境を日本全国すべての学校に備えるのは不可能なのもわかりきっているので、どこらへんを落とし所にするのか、難しいところです。

  

放っておいても明日は来る― 就職しないで生きる9つの方法

放っておいても明日は来る― 就職しないで生きる9つの方法

 

 

 高野秀行「放っておいても明日は来る― 就職しないで生きる9つの方法」

 

 高野秀行が、大学の「東南アジア文化論」という講義で講師をしていた際に招いた、東南アジアや沖縄や屋久島で暮らしたり、働いたことがある奇人、変人9人の講演集。最後の9人目は、高野秀行本人。

 

 この人の本はどれも面白いので、この本も、当たり前のようにものすごくおもしろかったわけですが、なによりこの本のまえがきとあとがきにあるように、著者のスタンスが、「就職して会社勤めするより、こんな風に自分で道を切り開いて、自由に生きたほうが楽しいよ!」みたいな某ブロガーのような無責任な煽りではなくて、「できることなら、こんな無茶なことはせずに、ちゃんとした会社に入って、普通に生きたほうがいいよ。でも、不幸にもドロップアウトしてしまったとしても、こんな人達みたいな人生もある。最悪の状態がこれだと考えたら、案外楽しそうじゃない?そう考えたら、将来に希望ももてるんじゃない?」という意外にまっとうな考え方なのが、バランス感覚があって好きです。

 

職業欄はエスパー (角川文庫)

職業欄はエスパー (角川文庫)

 

 

 

 スプーン曲げやダウジングなどで一時期マスコミに露出して、時代の寵児となった「エスパー」と呼ばれた人たちのその後を追ったノンフィクション。

 著者は、彼らの超能力を頭から肯定するでも否定するでもなく、誰もが疑問に思うような点を、彼らと信頼関係を構築しながら少しずつ解きほぐそうとしていく。

 彼らは彼らで、自分たちが世間からどのように思われているのかを充分にわかっているので、ことさら自らの能力が本物だと強調することもなく、ただありのまま(であるかどうか本当のところはわからないにせよ)を淡々と説明していくのだが、読み進めていくうちに、彼らの言うことをそのまま信じる根拠が無いのと同じように、彼らをインチキだと暴き立てるマスコミや大学教授などの類も決して無条件には信用できないことが思い知らされて、結局、最後まで読んでも、彼らの超能力が本物なのかどうかは、わからないままである。

 しかし、少なくとも、現時点で科学的でないからといって頭から否定してしまうのは、現象を実際に見ただけで信じてしまうのと同じくらい、正しくない姿勢なのではないか、ということに気づかせてくれる。