「真田丸」、上杉景勝のひどい(褒め言葉)キャラづけに、ハマっています。
景勝の小物っぷりが愛おしくてw
そんな大河ですが、来年の(「おんな城主 直虎」)は論外として、2018年が「西郷どん」と聞いて、がっかりしたのは私だけでしょうか。
また幕末なのは、食傷気味ですが、まあいいとしましょう。
しかし西郷隆盛て。
「翔ぶが如く」と時代どころか、薩摩藩、西郷隆盛まで丸かぶり。
西郷隆盛は魅力的に描くの結構難しいと思うんだけれどなあ。
せめて島津斉彬と久光兄弟にでもしたらよかったのに。
幕末もので、もし自分なら誰が主人公だったら見たくなるか、と考えてみたのですが、思い浮かんだのは、榎本武揚です。
幕臣時代は海軍副総裁として函館五稜郭に立てこもり官軍相手に徹底抗戦。
降伏後は、明治政府に仕え、北海道開拓使や、駐ロシア公使として千島樺太交換条約の締結、駐清公使として天津条約の締結などで活躍、その後も逓信大臣、文部大臣、枢密顧問官、外務大臣、農商務大臣などを歴任した優秀な官僚としての側面もあり、波乱万丈の生涯だった彼を主人公にすれば、薩長土肥とはまた違った視点から明治政府を描けるから面白くなりそうだと思うのですが、どうですかねえ。
で、そんなことを考えていると、無性に榎本武揚について書かれた本が読みたくなり、たまたま、このような本に出会うことができました。
榎本武揚、教科書に載っているのは千島樺太交換条約ぐらいだけど、明治政府に出仕してからも、本当にいろいろやっていたんですねえ。
実はこの本、メインは日本人のメキシコ移民(殖民)の記録で、榎本武揚は言い出しっぺであるにすぎず、榎本武揚本人について書かれたものではなかったのですが、日本とメキシコのあまり知られていない交流の歴史を知ることができて、とても興味深かったので少し紹介を。
内容(「BOOK」データベースより)
榎本武揚は増加する日本の人口問題解決策として「殖民協会」を設立し、明治30年、メキシコに36人を送りこんだ。通称これを「榎本殖民」という。だが長い異国への旅路の果てに入植しながら、未来永劫存続するはずだった理想郷建設は、わずか3ヵ月で瓦解する。しかし、取り残された人々の中で日墨協働会社が設立され、日本人のメキシコにおける様々な事業が展開された。未知の国で苦難を克服して生きぬいた明治人の足跡を辿る。
日本人の南米への移民というと、まず思い浮かぶのがブラジルだと思うのですが、実はラテンアメリカへの最初の日本人移民は、この榎本殖民によるメキシコで、ブラジルより11年も早いのです。
結局、この榎本殖民計画は、事前調査の見込みの甘さもあって、失敗に終わるのですが、残された人達の中にも、粘り強く挑戦を続けるものがいたり、それとは別に、強い使命感を持って新たに移民して来る人達もいたりして、彼らはそれぞれ、おのおののやり方で、細々とではあったけれど、着実にメキシコ社会に根づいていきました。
しかし、そんな彼らも、メキシコ革命によって、せっかく築いたものが失われたり、奪われたりといった困難に襲われます。
その後も、日本が第二次大戦に枢軸国として参加したため、彼らはメキシコにおいて敵国民になってしまうなど、苦難の連続でした。
本書は、そんな激動のメキシコで、たくましく生きてきた知られざる日本人達の記録です。
この本を読んで意外、というか、全然知らなかったのは、日本とメキシコとの長きに渡る友好関係です。
メキシコにあまりそういうイメージはありませんが、実は結構、親日国なのです。
日本が開国後初めて外国と結んだ「平等条約」の相手はメキシコだったそうです。そしてメキシコが初めて条約を結んだアジアの国も日本。
ほかにも、第二次大戦中、アメリカから、在メキシコの日本人引き渡しを要求され、応じるラテンアメリカの国もあった中、メキシコ政府は要求を拒否して、強制送還しなかったというエピソードもあります。
残念ながら、彼らメキシコ殖民の子孫たちは、今では大部分が混血して現地化し、祖先が日本人だと知るのみで、日本語も話せなくなっている人がほとんどのようで、ブラジルのような大きな日系人社会の実現はなりませんでしたが、かつてそういう日本人がいたこと、そして彼らの努力によってメキシコとの友好の発展につながったことを知っておくのも悪くないのではないでしょうか。