バニラエアの件でもやもやしたので、書きます

 このブログでは普段、意図的にあんまり社会時評とかそういうことには触れないようにしているんですが…。

 今、話題のバニラエアの話、なんか障害者に対してすっげー冷たい人が多くて、控えめに言って、なんか嫌な感じなんですが…。

 

 まず1点目。

 話題の中心がもっぱら、搭乗を拒否されたプロ障害者を非難することばっかり。

 私は別にこの人を英雄視する気もないし、行動が全て正しいとは思っていません。

 非難されるべき点もあるし、そこはちゃんと非難してもかまわないと思うんですが…。

 でも、この話題のメインはそこではないですよね?

 

 バニラエアがやろうと思えばやれた配慮を欠いた。

 登場拒否された人が異議申し立てをした。

 バニラエアもそれを認めて今後の改善を約束した。

 

 そういう話で、そりゃ、たまたま、この人の場合は態度に問題があったかもしれないけれど(くりかえしますが、別にそこを非難されるのは仕方ないと思っています)、仮にそうでない障害者の人であっても、それまでは乗れなかった可能性が高かったわけで、一番問題だったのは、バニラエアのそれまでの対応のはずでしょうに。

 でも、ネットで見る限りみんな夢中になっているのは、このプロ障害者が、いかに悪辣で、弱者の立場を利用して好き放題しているクズであるかを証明し、叩くことばかり。

 ネットスラングで「ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)棒を振り回して人を殴る」みたいなのがあるんですけど、逆に正義感という棍棒を持って、殴り返しているんだったら、人のこといえないと思います。

 正義の皮をかぶって人を叩くのが快感なのは、自分も持っている暗い欲望なので、よくわかってしまうんですけれど、だからといってそれを肯定して、度を越してしまうと、だれにとっても、ろくなことになりませんから、どこかで抑制する歯止めみたいなものは、必要だと思うんですよね。

 

 それから2点目。

 「LCCはコスト削減してやっている営利企業なんだから、そこまで求めるなよ。JALとかANAがあるんだから、そっちに乗れよ」って言う意見。

 LCCってそりゃJALANAに比べたら小さいかもしれないけれど、中小零細企業ってわけじゃないですよね(バニラエアはANAの100%子会社)。

 それがストレッチャー準備程度で、赤字になって経営が成り立たなくなるものですかね?

 それにいくらLCCといってもなんでもかんでもコスト削減しているわけではなくて、必要なものと不要なものにわけて、無駄をなくして低コストを実現しているわけで、障害者対応はそりゃ無駄っていっちゃえば無駄なのかもしれないけれど、それを会社側ではっきり「無駄」だと言い切っちゃうのって、どうかと思いますよ(実際、バニラエアも非を認めてるわけですし)

 障害者に対する配慮を「付加価値」や「サービス」という単語で表現している人もちょっとどうなんだろうって思います。 

 

 バリアフリーって余裕のある事業者が、お恵みでやっている優遇とかサービスなんですか?

 障害者は安いサービスを使うなってことなんですか?

 この理屈がOKなら、私鉄や私バスも「経営が苦しくて、障害者に配慮する余裕が無いから、障害者はタクシーを使ってください」みたいなのもありになってしまいませんか?

 外で食べるなら高級レストランで、泊まるなら高級ホテルか旅館でって?

 当たり前ですけれど、障害者は豊かな人ばかりじゃないから、そういう人たちは、外出せずに、ずっと家でこもっていろって?

 

 もちろん、これは程度問題の話で、事業規模に関係なく、全ての施設に際限なくバリアフリーのためのコストをかけろって言っているわけではありません。

 どこまでが合理的な配慮かっていうのは人によって意見が違うだろうし、厳密に線引は難しいとは思いますが、少なくとも公共交通機関で、決して小さな規模ではないLCCでそのぐらいの配慮はしてもいいのではないかと思います。

 

 ここまで読んで「ああ、この人はリベラルとか左翼とか朝日新聞とかそっち方面の人か、頭お花畑の博愛主義の人なのかな」みたいに私のことを誤解されるかもしれないのですが、そんな綺麗事で書いているつもりは全くありません。

 ではなぜ、今回のことで「嫌な感じ」がしたとのか言うと、(私の観測範囲内で)みんな、ちょっと想像力がなさすぎるんじゃないかな?と思ったからです。

 

 だって障害者って、だれでもなる可能性があるんですよ?

 私だって、今日、明日に事故に巻き込まれて車椅子で一生過ごさないといけない身体になるかもしれないし、事故でなくとも、将来、老衰でそうなる可能性だって、誰にだってあるわけです。

 運良く、自分がそうならなかったとしても、自分の身内や大事な人がそうならないなんて、いったい誰が言い切れるでしょうか?

 それでも資産があれば、どうにかカバーできるかもしれませんが、そんな恵まれた人、そうそういませんよね?

 自分がそうなった時を想像して、その時、自分が生きている世界が障害者にやさしい世界と、厳しい世界、どっちがいいのか。

 その時にやさしい世界になっているように今、余裕のあるうちに少しぐらいのコストを支払うのは、決して不合理な思考ではないと思うんですよね。

 

 ちょっと前に長谷川豊が「自業自得の透析患者は殺せ」みたいなことを書いて大炎上したのは、たぶん透析患者の数が多くて、存在が身近だったり、自分もそうなる可能性をリアルで感じる人が多かったから、反発も大きかったんだと思うんですが(もちろん、今回のプロ障害者の人と同じく、正義感を持って安心して叩ける対象だからっていうのも大きかったでしょうが)、それと同じようにもうちょっと、障害を持つ人に対する共感があってもいいのではないかなあ、と思います。

 

 「情けは人のためならず」、みたいな言葉もありますしね。