久島弘「ぼくは都会のロビンソン―ある「ビンボー主義者」の生活術」、山崎寿人「年収100万円の豊かな節約生活術 」

 テレビでモハメド・アリの追悼番組として、「猪木対アリ」の試合をやっていたので、見ないわけにはいかないような気がして、なかば義務感から見たのですが、思った以上に知らなかったことや、気づきが多かったので面白かったです。

 モハメド・アリはもちろん、アントニオ猪木だって、私が記憶にある最初が、スポーツ平和党に立候補したあたりで、レスラー時代はろくに知らなかったものですから。

 なにより番組の最後の最後で一番びっくりさせられたのは、猪木のテーマ曲がアリからもらったもので、元々アリのテーマ曲だったことです。

 それで謎のフレーズ「ボンバイエ」だったのか〜。

 おはようございます。

 最近読んだ本

 貧乏本二冊です。

 「貧困」ではなく「清貧」でも「ミニマリスト」でもなく、「貧乏」という語がしっくりきます。

 

 

ぼくは都会のロビンソン―ある「ビンボー主義者」の生活術

ぼくは都会のロビンソン―ある「ビンボー主義者」の生活術

 

 

 久島弘「ぼくは都会のロビンソン―ある「ビンボー主義者」の生活術」

 なんかこの本はやばかったです。

 なにがやばいって、「あれ?この本、オレが書いたんじゃないか?」とありえない錯覚をするぐらい、考え方に似たような部分があったので。

 一つ間違えれば自分もあっち側に行ったかもしれないし、今後行くかもしれない、と思いながら読んでしまいましたよ。

 特に痛いほどわかるのが、まえがきの部分のここ。

 

勤め始めて最初の春、ちょっぴり給料がアップした。

私は「やばい!」と直感した。

右肩上がりの安定収入ではローンが組め、稼ぎ以上の買い物ができてしまう。家電類を揃えたり、好みのカラーやインテリアで室内を統一できたりもする。

しかし、望み通りの暮らしを築き上げてしまったら、そしてローンが残ったら……。

会社や仕事に繋がれ、収入や生活水準維持のために働き続けるのか……。

私は空恐ろしくなった。

だったら答えは簡単。生活レベルを上げなければよい。

生きてゆくのになにが必要で、お金はいくらあればよいのか。そのデータとノウハウさえ押さえれば、いつだってゼロから再スタートできる。私は”アンチ上昇主義”を決意し、天井の裸電球をそのシンボルとすることにした。

 

 私はさすがに「アンチ上昇主義」を掲げるところまで割り切ることはできませんが、今ある収入を前提に生活水準を決めることに対する心配が昔からあったので、この人の考え方がすごくよくわかります。

 そして、この人がこういう考えに至ったきっかけが、アジアでのバックパッカーの経験というのも、あー、やっぱりそうかー、と多少似たような経験をしていたので、すごく納得しました。

 実際に、長期の貧乏旅行をすると、自分の中で、本当に必要なものや欲しいものと、逆に、ないならないで、意外とどうってことないものとが、はっきりして、こういう考えに至りやすくなるんですよね。

 そうではなくて、そもそもこういう考え方の人が貧乏旅行を試みるのが先か、順序がどっちなのかはわかりませんが……。

 

年収100万円の豊かな節約生活術 (文春文庫)

年収100万円の豊かな節約生活術 (文春文庫)

 

 

 もう一冊は、山崎寿人「年収100万円の豊かな節約生活術 」。

 Amazonのレビューでも結構批判が多いように、タイトルに偽りありです。

 年収100万円なら本来そこから税金や保険料が引かれてさらに少なくなるのですが、この本で書いてある100万円は手取り収入が年間100万円です。

 しかもその収入も親の遺産の不動産による不労所得

 読み進めていくと、それに加えて随時バイトなどもしていますので、最初から恵まれた条件があるのが前提での「豊かな節約術」となっていますので、普通の人が真似するなら、最低年収200〜250万ぐらいはちゃんと稼ぐ必要があるでしょう。

 とうわけで、タイトルにはいらっとさせられますし、収入部分はほとんどの人にとって参考になりませんが、支出部分に関しては、節約術や質素な生活など、参考になるところもそれなりにあります。

 

 どちらの本にも共通するのですが、真似するにはあまりにも著者がユニークすぎますので、これらは実用書というより、著者の哲学を楽しむ本と思ったほうが良いように思います。

 

 ところで、どちらの著者も自分とかなり近い人間だというのを読んでいてひしひしと感じるのですが、唯一違うなあと思うのが、食に対する思い入れです。

 この二人、食事にお金こそかけないものの、味に関しては素材や調理法など、ものすごく研究していて、プロの調理師顔負けのこだわりをもっています。

 またこれだけ節約を心がけているのに、調理器具には、妥協せず良いものを買っているところも似ています。

 それに比べ、私はどちらかというと「まずくなければOK」で、少しぐらい味が落ちるのがわかっていても、あえて、できるだけ手間がかからない調理法を選択することもしばしばですので、そこだけは全然違います。

 ですので、彼らは調理法や食事について、かなり多くのページをさいて事細かに紹介してくれているのですが、私にとってその部分は退屈で、軽く読み飛ばしていました。

 確かに、貧乏だとお金が必要な娯楽はあまり楽しめないので、興味や関心が食に集中するのはわからないでもないのですが、今のネット社会なら、かならずしも娯楽にそれほどお金がかかるわけでもないので、自分の場合はもっと他の趣味などに手間と時間を使うのになあと思ったりしたのですが、ここらへんはジェネレーションギャップかもしれません。

 ともあれ、どちらの本も、「金が無いから仕方なく」ではなく、どちらかというと積極的に、自然体で貧乏を楽しんでいる感じが良かったです。

 

 別に彼らの生き方が、正解だと主張するつもりもないのですが、仮にもっと安定した職についたり、もっと稼いだりしていたとしても、将来の不安は、なくなるわけではありませんから、大事なのは、どういう生き方にせよ主体的に選ぶことであって、ちゃんと納得して生きてさえいれば、たとえどんな顛末をむかえたとしても、本人にとっては不幸ではないし、逆もまた然りなのではないかという気がします。

 

 …と思うのは私が彼らと同類だからなのでしょうか…。