ダウントン・アビー沼に沈んだ3日間

 流行語大賞の話題が出てくる時期になってきました。

 今年もそろそろ終わりが見えてきましたね。

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 絶対選ばれることはないけれど、もし自分に投票券があるなら、「ロイヤルパワー」一択です。

 「上級国民」と同様、知らない人でも、ひと目で意味がわかって、汎用性の高さが半端ないところが評価のポイントです。

 

ダウントン・アビー沼に沈んだ3日間

 

 

 

 

 最近、ふと「そういえば、ダウントン・アビー、まだ全部見ていないなあ、どこまで見たっけ」と思い出して、動画配信サービスで調べてみたんですよ。

 夜、そろそろ寝ようかなっていう時間に。

 そしたら、シーズン4まで見ていたことがわかりました。

 シーズン3まではハマってものすごい勢いで見ていたんですが、

 シーズン4で少しマンネリ感を感じたのと、内容的に重苦しかったのもあって、この作品もこのぐらいでいいかな?と、ここで視聴の勢いにブレーキがかかっていたのです。

 4からオブライエンさんがいなくなっちゃったしな。

 

 残りはシーズン5とファイナルシーズン、そして劇場版。

 とりあえず、勘を取り戻すためにシーズン5を1話だけ見て、寝ようか。

 と思って見たんです。

 やばい、面白い。

 相変わらずの抜群のテンポの良さ。 

 ものすごい勢いでトラブルとその解決が矢継ぎ早に起こり、見るのを止めるタイミングが見つけられない。

 そのまま止まらなくなって、シーズン5をすべて見終わったのが翌朝の5時。

 久しぶりに再会したダウントン・アビーのいつもの面々があいかわらずで、懐かしすぎる。

 

 で、翌日。

 ファイナルシーズンも一日で全部一気見。

 主人公のメアリーが最後まで畜生でブレていないのが最高。

 日本の作品だと、主人公が女性の場合は特に、善良で毒がない(あってもそこまで致命的でない)人物になることが多いので、彼女の陰険さや身勝手さ、目的のためなら人を傷つけることも厭わない気の強さに、逆に人間味や魅力を感じてしまいました。

 ちょっと「風と共に去りぬ」の主人公に似ていますが、向こうではそういう女主人公の文化があるのですかね。

 

 さらに翌日。

 劇場版を視聴。

 視聴者が見たかったものを余すところなく見せてくれる劇場版の鑑のようなデキでした。

 

ダウントン・アビーには人生の大切なものが詰まっているんだよ」

 

 というわけで、丸3日、ダウントン・アビーに費やしてしまいました。

 

 この作品、基本はメロドラマなんですが、20世紀の初め頃、イギリスの貴族が時代の流れに抗えず没落していく様子を描いた大河ドラマとしての側面もあり、それが作品に深みを与えています。

 キャラクターについては、それこそ一人一人について語れてしまいそうなのですが、しいてあげるなら…。

 

 シリーズを通して一番成長を感じたのはブロンソン

 最初の頃は、なんだよ、こいつ、バカのくせにうぜえなあと思っていたのに、いつの間にか一番安定感のあるメインキャラになって、最後には主役たちを食ってしまうとは。

 

 そしてダウントン・アビーと言えば、なんといってもトーマス。

 ある意味、この作品の影の主役といっても過言ではありません。

 こいつが出てくると、次はどんなトラブルが起こるのかと、期待感が半端ありません。

 脚本書いている人も、絶対こいつが好きだろう。

 シーズン初期は、全員の中で一番闇が深そうだったベイツさんが、幸せになるにつれておとなしくなっていってしまったのに対し、トーマスは最後までその存在感に陰りはありませんでした。

 

 トーマスとオブライエンの共闘が、個人的にはこのドラマのピーク。

 それだけにオブライエンの途中退場は、痛恨でした。

 その後も、いろいろ新キャラは出てきますが、残念ながらオブライエンの穴を埋めるには至りませんでした。

 

ダウントン・アビーは「イギリス版『紅楼夢』」

 ここからは余談になりますが、このドラマ、構造が中国の清の時代の小説「紅楼夢」とすごく良く似ていると思いました。

 

 舞台が上流階級の大邸宅というところもいっしょだし、登場人物の社会階層によって人間関係が完全に二分されているところ、基本は色恋沙汰とトラブルによるゴタゴタがストーリーの中心ですが、物語が進むに伴い、家がだんだん没落していき、この時代の社会情勢もいっしょに理解できるところなど、いろいろ共通点が多いです。

 

 ダウントン・アビーの劇場版は、国王陛下がダウントン・アビーを訪れることが決まり、屋敷は準備でてんやわんや、というストーリーなんですが、紅楼夢にも(うろ覚えですが)、確か皇帝陛下が屋敷にやってくるみたいな話があったと思います。

 

 「紅楼夢」を知らない人に、どんな話?って聞かれたら「中国版『ダウントン・アビー』」と言えば、なぜ日本ではいまいちマイナーなこの作品が、中国文学の傑作として、中国人に愛されているのかイメージしやすいのではないかとか思いました。

 

 昔、中国の本屋で「源氏物語」の翻訳があったのを見つけ、帯に「日本版『紅楼夢』」とあったので、しいていえばそうなのかもしれないけれど、ちょっとちがうよなあと違和感があったのですが、ダウントン・アビーを「イギリス版『紅楼夢』」というのなら、ピッタリだと思いました。

 

ダウントン・アビーはいいぞ

 ダウントン・アビーはいいぞ。