「千と千尋の神隠し」を見た

 今日もヤマト運輸さんに配達してもらっちゃいました。

 幸い、いつもと違う人がドライバーだったので、2日連続で同じ人に配達してもらうという、なんとなくきまりが悪い事態は避けられました。

 どうせ今日(13日)もポチったから、明日(14日)も配達してもらうけどな!

 これもAmazonが悪いんだよな、うん。

 でも、プライム会員になってから、配達時間を指定できるようになって、夜8時以降に配達してもらうので、たぶん再配達の恐れはないから許してください。

 こんばんわ。

千と千尋の神隠しを見た

 たまった録画消化の一環で、だいぶ前に録画した「千と千尋の神隠し」を久しぶりに見ました。

 どのぐらい前かというと、剛力彩芽auのCMに出てるぐらい前です。

 この映画、私は宮﨑駿の作品の中でも1,2を争う、少なくともベスト3には入るぐらいには好きな作品ですので、すでに最低2回、もしかしたら3回ぐらい見ているはずなのですが、結構重要な場面やストーリーに関する記憶がなくて、ちょっとショックなぐらい新鮮な気持ちで楽しめてしまいました。

 なにより、自分の中でこの映画は、ストーリーが支離滅裂であってないようなものだったと記憶していたのですが、意外に筋がちゃんとしていて、作中で世界観や状況の説明もきちんとしている普通の映画だったので、びっくりしました。

 今見ると、物語を通じて、最初どんくさかった千尋が、異世界でのあわただしくも濃密な経験によって短期間に著しく成長していき、それによって周囲の千尋に対する評価まで変わっていく様子が、すごくわかりやすく描かれていたのに、昔見た時は全然そういうところに気がついていなかったなあとか、いろいろ発見がありました。

 なによりびびったのは、物語上すごく重要な登場人物の、存在そのものまで忘れていたことです。すごいな自分。そりゃストーリーが全然印象に残っていないわけだ。

 というわけで、数年ぶりに改めて見たわけですが、やっぱりどこがどう、というのが非常に言い難いのですが、見ていて楽しい、良い映画だなあという思いを新たにしました。

 昔見た時と比べ、ネットなんかで宮﨑駿の人となりや思想に関する知識が増えたので、作中の表現の一つ一つに対して、これはこういう解釈だなとか、よけいな深読みをしてしまうようになってしまったのは、いいことなのか悪いことなのか。

 穿った見方をしてしまえば、労働の価値をやたら賛美したり、拝金主義をことさら醜悪に描いたり、やっぱり左翼っぽいよなあ、とかそれが合ってるかどうかわからないし、あんまりそういう映画の見方は好きではないんだけれど、どうしても。

 まあ、面白かったから良いです。

 ともあれ、長年気になっていた録画の積み残しが一つ片付いてほっとしました。

 つまりはそういうことだ。