新印象派展
東京都美術館へ行ってきた。
新印象派の主な作家は、スーラとかシニャックとか、カミーユ・ピサロなどなど、点描でお馴染みの、印象派のくくりでいうと関脇、小結クラスの作家達ですな。
アートに限らず、大小どんなジャンルでも、
- ジャンルの勃興期は各自がそれぞれ自分なりのやり方をいろいろ試して、お互いに切磋琢磨する(黎明期)
- その中から、少数の天才たちが素晴らしい作品を生み出し、他の人もそれを学ぶことによって、だんだん技術や技法が洗練されてきて、セオリーのようなものができてくる。
- セオリーが確立し、普及することによって、平均的な品質が高まり、ジャンル全体のレベルが高まる(最盛期)
- 皆がセオリーに縛られすぎることによって、似たような作品が乱立し、世間に飽きられ、ジャンルそのものが衰退していく(衰退期)
- やがて、確立されたセオリーをあえて無視したり、セオリーを踏まえた上でそこから更に一歩進んだものを作ったり、あるいは技術革新が起こって新しい表現が可能になったりと、今までとは全く違ったアプローチから作品を作る人が出てきて、その中から傑作が生まれる。
- その傑作から他の人も学んで、新しいセオリーが生まれ、そこからジャンルそのものに新しい展開が生まれる。
- →3に戻る。以後、そのジャンルが廃れるまで無限ループ。
こういうのを繰り返しながら歴史が作られていくわけだけど(わかりにくかったらロールプレイングゲーム、ギャグ漫画、時代劇、SF、ミステリなど好きなジャンルを想像すればいい)、今回の新印象派展は、まさにその新しいセオリー、「これからは(当時流行っていた)色彩や光学の仕組みをもっと勉強して、絵を描く時にもっと科学的な知識を活かしたら、今までの絵がもっとよくなるんじゃね?」で描かれた作品が中心だ。
美術の時間に習う色相とか補色とか、ああいうやつですね。
そういうわけで、今回の新印象派の作品群は、ある程度かっちりとした理論と手法を元にしているので、どれもとても色鮮やかできれいな絵でハズレがないんだけれど、その反面、個々の作家や絵のテーマによる差がそこまではっきり出ないので、大量に見ていると、どれも似たようなものに見えてきて、だんだん飽きてきたなあというのが正直な感想。
その後にくる、今回も少しだけ展示してあった、今までのセオリーをいったん脇において新たな表現に挑戦するフォービズムになってくるとまた面白くなってくるんだよな。
ファイトクラブ
今月もTSUTAYAで旧作一本無料レンタルできるので、いつか見ようと思っていたこれを借りてみた。
有名な作品で、未だに言及されることも少なくない名作なので、大丈夫だと思っていたんだけれど、うーん。
期待はずれというか、思っていたのと違ってイマイチ。
なーんかご都合主義過ぎるにもほどがあって、単なる週末ケンカごっこのファイトクラブから、どうしてそこまでスムーズに話がエスカレートしてしまうのか納得できなかった。
アオイホノオ
12巻まで読んだ。
ガイナックス関連は先に岡田斗司夫「遺言」を読んでいたのだけれど、
「アオイホノオ」で描かれるガイナックスの面々は、岡田斗司夫史観と事実関係にそれほど違いがなくとも、ニュアンス的には、ずいぶん齟齬があっておもしろい。
たかだか十年、二十年程度前の話でもこれだけそれぞれの認識している事実に隔たりがあるのだから、ナイーブに歴史の「真実」なんて言っちゃえる人がいかに危ういのかがわかろうというもの。
つまりはそういうことだ。